静物画の妙
Drawing Guide

なぜ芸術をするのか。人間も動物も芸術をする。音楽でも、絵画でも、踊りでも良い。芸術をする者はどうして芸術をするのか。

動物に関してはちょっとわからないが、人間にとっての芸術は、己の安全圏からあえて身を引き剥がし、居心地の悪い未知に心を据え、真実と向き合う行為である。芸術はまた、生きている刻一刻において受け取る大量の情報やそれに反応して心が作り出す大量の感情を処理する行為でもある。芸術には技術と、そして情動が関係している。理性を重んじた古代ギリシャの哲学者プラトンは、ダンサーを彼の理想の国の統治から追放したという。このことからも、踊りそして芸術というものは、理性とは相反する原初的な情動の顕示でもあることはその頃からよく理解されていたといえる。理性と相反するという意味で、芸術は真実と向き合う真剣な行為であると同時に、自己目的的な遊びであるとも言える。楽しいからやる、それが芸術でもあるのである。本記事ではこうした「本気で遊ぶ」行為としての芸術の一例として、著者の静物画の一連の作業を紹介し、そこでどのような遊びが展開されているか紹介する。これは哲学や数学と一緒で、本記事を読みながら実際に静物画を描いてもらうことを想定している。実際に画面と絵の具、筆、そして自分の体と格闘してみてほしい。そして、この苦しくも楽しい芸術の醍醐味を、一人でも多くの読者と共有できれば幸いである。


ステップ1:モチーフを並べ、写真を撮る。

絵の参考にするものをモチーフと呼ぶ。モチーフはなんでも良いのだが、今回は静物画なので生きていないものや植物など動かないものを使う。花瓶に生けられたお花を描いてもいいし、異素材をより集めても良い。今回は、いろいろな素材が集まって空間が作られている様子を描きたい、と考え、先週飲み終えたワインの瓶と、オランダの義実家の素敵な銀製水差し、そして昨日コーヒーを飲み終わったまま放置してあった、絶妙にすべすべした表面をもつ現代風のコーヒーカップ、この三つを配置して、3つの物体が囲む空間を描いていこうと思う。静物を描く際には、物を置いている面も大切である。今回は使い古したタオルが目に入ったのでそれを机に敷いて、全体的にくすんだ色合いのモチーフたちが集まった。この縞模様の入ったタオルをどのように配置するかにも、その画家の世界観や目的が現れてくる。今回は「空間を描く」というテーマがあったため、縞模様がそのまま透視図法の奥行き線となってくれるよう、縦向きに配置した。これは斜めにしてみたり、横向きにしてみたりして、自分の描きたい世界を大きく変えることができる重要な要素である。また、背景も非常に重要である。白のままにしてもいいし、モチーフの写真は無視して画面上で色を加えていっても良い。

ステップ2:モチーフ写真を白黒に加工してみる。

これは絶対に必要なわけではないが、私は楽しいのでモチーフの写真を撮る際には毎回やっている。こうしてみると、色味をいったん置いておいて、画面の中でどこが一番暗いのかを一髪で見つけられる。プロの画家で、そんなの自分の目が肥えているから必要ないわ、という方もいるかと思うが、私は携帯電話で簡単に白黒にできるのがなんだか嬉しいのでつい毎回やってしまう。生徒に教える時にも便利である。例えば今回は、ワイン瓶の底のほうや、水差しの注ぎ口の下側、またコーヒーカップの取手の生え際の下に落ちている影などがなかなか強い黒さを持っていることがわかる。また、色付きの写真と白黒写真を行ったり来たりしながらよく観察し、画面内の特徴的な形や位置関係をよく分析する。例えば、パッとみて一番厄介そうなのは、一般的には水差しではないだろうか。私は、この形はなかなかおしゃれだが正確に写しとるのは難しそうだなと感じた。そこで、作戦として、下書きで大体のプロポーションはもちろんとっておくが、そこまで神経質になりすぎないようにし、色を足していきながら少しずつ形を掴んでいこう、と方針を立てた。絵は自由なので、最初から正確な下書きを作り上げてから絵の具に移行してもいいし、下書き自体をぶっ飛ばして絵の具で色の塊として捉えるところから始める描き方もありである。今回は私はその間ぐらいのやり方にしようかな、と写真を見ながら決めたりするのである。

ステップ3:下絵を描く。

ステップ2で説明した通り、今回私は下絵はざっくりとやる方針なので、このぐらいのざっくりで満足した。描く前に、一番背の高いワインの上にどのくらい空間が欲しいか決め、そこから逆算して布の一番高い部分の稜線を引いた。そしてワインとコップと水差しが囲んでいる空間が大体真ん中にくるように、なんとなく配置した。縞模様も結構適当に描いたが、上から見下ろしているので大体の視点の高さと消失点を設定し、大体そこから縞模様の線が放射状に広がるように気をつけた。

ステップ4:最初の色をのせる。

モチーフの写真を眺めた時、ワイン瓶の上部の赤色と、タオルの両端の赤色が、色味はやや違いながらも目立って見えたので、そこから色を入れることにした。これも、別に正解というわけではないが、自分のパッと感じた印象などをしっかり保ちながら描き進めていくとイメージからブレすぎずに筆を進めることができるのでおすすめではある。この段階では細かいことは一切忘れ、薄めでぼんやり写真を見たときに同じ色のところは全部同じ塊と捉えてよい。微妙な色の違いなどは後々作っていく。ちなみに絵の具はアクリル絵の具を用いた。水彩でも油絵でも良いが、今回は油絵の下絵としてアクリルで丁寧なデッサンをした上で、油絵具に持ち替えていくことに決めた。

ステップ5:2色目をのせる。

私は基本的に三原色と白黒の5色の絵の具を使って絵を描くことが多い。これは、経済的に優しい、というのと、頭がごちゃごちゃにならず、スッキリした気持ちで絵を進められるので私が気に入っているだけで、もっと絵の具屋さんで素敵な色を探検するのもいいと思う。赤が画面で一番目立っていたので1色目に選ばれた。ここから、青を使って画面内の暗い部分に色を与え、立体感や画面全体の色のバランスを決定していく。絵の具に水を少し多めに含ませ、暗い部分をマーキングしていく。影を描くと、形がどんどん浮かびかがってくる。

ステップ6:3色目をのせる。

赤、青を追加し続けながら、黄色を導入していく。今回のモチーフはどれもくすみ色で、黄色らしい黄色は見当たらない。しかし、マグカップの鈍い緑色や、ワイン瓶の光の当たっている上部、また、くすんだ銀食器の灰色の中にも黄色は潜んでいる。目を薄めてぼんやりと写真を眺め、画面上の色を赤黄青の調合のバリエーションとして見ようとしてみると楽しいし、どの色をどこへ置けばいいかが見えてくる。

ステップ7:白をのせる。

赤黄青の三原色に加え、白をパレットに追加する。タオルの鈍い色味や、コップや水差しの鈍い色合いを少しずつ足していく。また、ワインボトルの位置を調整したかったので修正液としても白を利用した。白を消しゴムのように用いて、輪郭をシャープに造形することもできる。

ステップ8:影を深くする。

赤黄青白の4色を用いながら、丁寧に見えるものを描き加えていく。なるべく細部にこだわらず、また物の形として味すぎずに、一つの画面の中での調和や純粋に見えるものをどうやって画面内に落とし込むか考えながら手を動かすのが楽しい。実際、絵を描いている際の人間の脳は、複数の部位が活発に動いているらしく、いわゆるフローステートと呼ばれる没頭状態に陥ることができ、人間にとっては非常に幸福な状態であるといえるようだ。

ステップ9:特徴的なディテールを描き込む。

全体が大体いい感じになってきたら、最後に必要最低限のディテールを描き込む。ワインの先、金属の取手、マグカップの取手など、特徴的な形の特徴が伝わるような、ミニマルで賢い筆の動かし方を工夫する。ここでディテールにたくさん時間を使ってももちろん良いし、もっと他に強調したいことなどがあればそちらの表現に励めば良い。自分の絵のテーマは自分で決める。私は十分特徴などを捉えられたと判断し、油絵具に進むが、このままアクリル絵の具で完成まで持っていくのももちろんありである。

ステップ10:油絵具に移行し、筆を進める

私は油絵具のねっとりとした深みが大好きである。一応現状の写真を共有しているが、ここからもっともっと描き込んでいける。特にタオルがおざなりになっているので、どんどん描き込んでいきたいところである。別にアクリル絵の具から油絵具に移行するのが正解でもないし、最初から油絵具からやってもよかった。ただ、アクリル絵の具の方が乾きが早く、下書きにはピッタリである。究極的には、やりたいようにやればいいのである。